OTSUKAのあゆみ

ここに人あり-月刊なごやかより抜粋

株式会社OTSUKA
代表取締役社長 大塚裕弘

-何代目ですか
私で4代目です。曽祖父が1921年に創業しました。

―どこで創業したのですか
今の名古屋駅の場所に会社があったらしいです。今の名鉄レジャックのあたりが当時は名古屋駅だったそうです。 そこで国鉄の貨物電車で到着した貨物を馬車で運んだそうです。そこがスタートです。

―名古屋駅に馬や馬車!想像がつかないですね
今の名古屋ビルヂングの辺りは昔、倉庫街だったそうです。そこに納入したり、堀川沿いの材木を運んだりしていました。当時は小豆や砂糖を運ぶのがメインの仕事だったと聞いています。私も当時の伝票を見たことがあります。和菓子屋さんに何個卸したとか書いてありました。そして今の名古屋駅が出来るということから亀島に移転しました。

―亀島では何を運んでいたのですか

時代の移り変わりとともに馬車から今のトラック輸送に代わり、アルコールの輸送を請け負うこととなり化学薬品の方向に舵をきって行ったらしいです。

―そこからまた移転したのですか

亀島は今もそのまま本社です。ここ西区に営業所を開設したのは昭和39年です。
ここは当時市のゴミ処理場があっただけで、すべて田んぼでした。当時父は同業者から「大塚が田んぼのど真ん中に会社を作ったと」とからかわれたそうです。でも父は将来道路が整備され近くに高速(名二環)が通るということが判ってた。頭の中に青写真が出来上がっていたと思います。

―先見の明があったのですね

はい。それに当時ガチャマンと言われる一宮の繊維関係の会社への染料の輸送が活況を制しており、お客様から輸送だけではなく倉庫も作ってほしいと要望され営業所を作ったとのことです。その頃はもうトラック輸送中心になっています。余談ですが弊社のトラックのカラーは小豆色と白色です。創業の時小豆と砂糖を運んでいたことからこの2色ということです。

―愛着のある色なのですね。

そこから時代と共に建材や化学薬品にシフトしていきました。液体を大量輸送できるようタンクローリーを導入したり、建築資材の天井材や床材も運びました。今の名古屋の大きなビルの建材は殆ど弊社の倉庫経由となっていたらしいです。

―化学薬品というと

基礎原料になりますがメタノールやホルマリンなどです。塗料からプラスチックなど様々な物を作るときに必要な原料です。父の時代は本当に忙しくて猫の手も借りたいくらいで、母も手伝っていました。いわゆる家族経営ですね(笑)!!社員も家族の一員みたいで家で社員が食事していたり寝ていたり、私の遊び相手になってもらったり・・・僕は小学生の頃は両親に遊んでもらった記憶はなく、学校が休みになると、養子である父の実家岐阜の中津川に姉と一緒に預けられていました。寂しいという思いはあまりないです。ただ父に言わせると東京の出張の時に一緒に連れて行ったとか言われたけど記憶にない(笑)父は厳しいということはなく、どちらかと言うと放任主義でした。好きなことをやらせてくれた。東京はいいだろうと言って高校から東京に行くことを勧めてくれました。

―大学は東京ですか

はい。寮生活も2年しました。東京を離れたくなかったので就職も東京で決めました。後を継ぐつもりでいましたので、運送会社に3年ほど就職しました。

―いかがでしたか

楽しかった。ドライバーもやりましたが、営業が主な仕事でした。先輩の車に乗せてもらい、朝一番に適当な場所に降ろされ「ここの道を真っ直ぐに進み片っ端から企業を飛び込み営業しろ、お昼になったら、今度は反対側の道の企業をくまなく回れと・・・、4時に降ろされたところに迎えに来るから」と言われ、真面目に1件、1件飛び込み営業をしました。まだ若いので怖いもの知らずでしたので、一生懸命営業をしました。比較的良い人が多く、暑い日は冷たいお茶やコーヒーを出してくれたり、話を聞いてくれました。営業成績も良く自信がつきました。

―3年後に名古屋に戻ってきたのですね

そうです。最初はドライバーから始めました。弊社の荷物は、ただ運べばいいという概念はありません。手間暇かけて運ぶ、それが付加価値だと思っています。

―運ぶだけではない

ここは今でも運転手にも徹底して言っていますが、お客様の社長になったつもりで運ぶように、お客さんのビジネスを運ぶ、大げさではなく、大切な荷物を運ぶというきちんと届けて仕事ですからね。

―今現在も化学薬品を運んでいますか

はい。僕になって新しく始めたのが郵便の仕事です。

―ゆうびんですか

郵便と言ってもハガキやDMを運ぶだけが仕事ではありませんよ。裁判所からの通達や現金書留など、人の人生を変える内容の郵便もあります。直接配達はしていませんが、関東や関西への幹線輸送です。バックヤードの部類に入るかと思います。ただ何時に入って何時に運ぶと時間がきっちり決められていて、
なかなか大変です。しかも365日です。

―今後の展望はありますか

大きく2つあります。一つ目はお客様が今後どのような要望を我々物流業界に求めてくるか。
二つ目はドライバー不足への対応です。
お客様の求めていることは使い勝手の良い都合のいい時に思ったような物流を提案してくれる運送会社を
探しています。お客様が困ったときに直ぐに対応できるように準備をしなければいけません。そのためには 同業者の中で考え方が同じ経営者と提携したり、自社で全国ネットワークを構築しなければなりません。

―困っている仕事というと

例えば荷物が振動に弱く壊れやすいもの、精密機械などですね。機械物は繊細ですから、投げたり、段積みしてはいけない。持ち運びも丁寧に行わないといけない。梱包材をお客様と一緒に考えたりとか、輸送時の振動を減らすためにトラックの構造を変えたりとかコストはかかりますが、輸送面からお客様が求めることを提案して確実に安全に届けるということです。意外と思われるかもしれませんが、商品知識を持ったドライバーって意外と少ないんです。また特殊なトラックも意外と無いんです。だから荷物を壊してしまったりトラブルが起きるんです。弊社の小豆色のトラックは普通に見えるけど、そういうところで最先端を走っています。

―ドライバー不足への対応は

ハードの面では、労働環境を少しでも良くするための投資です。長距離ドライバーは深夜もトラックの中にいます。エンジンを掛けなくてもエアコンをつけて休息できるように改造したりしています。またソフト面が一番大事だと思っていますが、ドライバーが運んでいる荷物の商品知識であったり、自分の仕事がどれだけ世の中に役立っているのかをきっちり理解して仕事をしてもらうということです。例えば、今スーパー銭湯やホテルに温泉を納入しています。きっかけはお年寄りの方が田舎の温泉までは体が弱って行けないけど温泉につかりたいという話を聞いて、本物の温泉に入って欲しいと思いました。日本人はお風呂が好きですからね。県内にある温泉施設や介護施設などに源泉を供給しています。その様な方が笑顔になっていただける仕事をやっているんだということになれば、ドライバーの仕事に対するモチベーションは自然に上がりますよね。ドライバーとしての技量以上に責任をもって仕事をしてもらうということが一番だと思います。

―趣味はありますか

ゴルフです。ダイエットを兼ねて歩くし、のんびり出来るし、気分転換になります。

 

 

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